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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)8221号 判決 1985年3月29日

原告 津田正衛

右訴訟代理人弁護士 戸田謙

同 小原健

同 小野正典

同 萬場友章

右戸田謙訴訟復代理人弁護士 岩倉哲二

被告 国

右代表者法務大臣 嶋崎均

右指定代理人 梅村裕司

<ほか二名>

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一億一〇七七万七四〇〇円及びこれに対する昭和四八年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文と同旨。

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  東京地方検察庁検察官検事太田輝義(以下「太田検事」という。)は、東京地方裁判所に対し、原告を被告人として、昭和三九年五月一四日、別紙一記載の公訴事実(罪名・業務上横領、商法違反)について、さらに同年六月三日、別紙二記載の公訴事実(罪名・詐欺)について、各公訴を提起した(以下「本件起訴」という。)。

2  東京地方裁判所は、右両事件を併合審理のうえ、昭和四三年八月三一日、業務上横領、商法違反の点につき有罪(懲役一〇月、執行猶予一年)、詐欺の点につき無罪の判決を言い渡した。右判決中、無罪部分は検察官の控訴申立がなく確定し、有罪部分については原告が控訴を申し立てたところ、東京高等裁判所は、昭和四八年九月二一日、原判決を破棄して、無罪の判決を言い渡し、同判決は確定した。

3  本件起訴は、以下のとおり、太田検事の故意又は過失に基づく違法な起訴である。

(一) 五〇〇万円の業務上横領について

原告は、日本海藻工業株式会社(以下「日海」という。)の代表取締役であったが、昭和三三年一月ころ、当時大韓民国において工業寒天製造工場の建設を計画していた同国の商社である東海実業株式会社(以下「東海実業」という。)及び同社と取引のあった株式会社アイゼンベルグ商会(以下「アイゼン」という。)との間において、原告が東海実業の右工場建設等に関し技術指導を行い、東海実業はこれに対する報酬(以下「技術指導料」という。)として原告に五万ドル(当時の邦価一八〇〇万円)を支払い、アイゼンは右支払について保証する旨の契約(以下「技術指導契約」という。)を締結した。原告は、右契約に基づく義務を履行したので、アイゼンから技術指導料として一八〇〇万円の支払を受ける権利があるところ、昭和三三年一月ころ、右技術指導料のうち三六〇万円の支払を受けたが、これを日海に融通した。

さらに、同年一〇月二五日、原告は残額一四四〇万円についてアイゼンから約束手形三通の交付を受けて一旦その支払を受けたが、その後アイゼンから右手形三通の返還を要請されたのでこれを返還し、代りに昭和三四年春ころ、アイゼンから日海へ取締役として派遣されていた塩見長幹を通じて、日海がアイゼンから八王子工場建設資金として二億円の融資を受けることとなった際、右二億円の中から一四四〇万円を取得してよい旨の指示を得た。そこで、原告は、同年七月二四日、アイゼンから日海に対する右融資金が振替入金されていた大同信用金庫銀座支店(以下「大同銀座支店」という。)の日海常務取締役井川正二郎名義の普通預金口座から右一四四〇万円と、先に日海に融通していた前記三六〇万円の合計額に相当する一八〇〇万円を取得し、その一部を大同銀座支店の大崎定代(架空)名義の普通預金口座に預金した。そして、同年八月二一日、原告は、右口座から五〇〇万円を引き出し、これを中坪義夫に支払ったものであり、右五〇〇万円は原告所有の金銭であって、日海のものではなかった。

しかも、右五〇〇万円は、別紙一の第一の二と三記載の四〇万円及び五五万円の金員とともに、昭和三二年八月まで日海の取締役会長として功績のあった佐野寅雄に対して支給を約束していた退職金八〇〇万円の一部として、同人の意向により、その妾であった甲野花子の使途に充てて支出したものであるから、私的な費消ではなく、日海のための支出であった。

(二) 四〇万円及び五五万円の業務上横領について

日海は、昭和三四年一月八日、アイゼンから九〇〇万円を借り受け、これを仮受金勘定で受入処理していたところ、同月一八日、アイゼンの支配人木村有朋から、仮受金勘定のままでは利息もつかないので、利息のつく方途を講じて欲しいが、税金対策上アイゼンの名前を表面に出しては困る旨の申し入れがあったため、これの対処方法として、同月二八日、アイゼンから原告が右借受金を一旦借り受け、これを原告が日海に貸し付けることに変更した。その結果、原告は、日海に対し九〇〇万円の貸付金債権を取得したものであるところ、同年五月一一日、農林中央金庫(以下「農林中金」という。)の日海普通預金から八〇〇万円を右貸付金の弁済として原告が取得し、これを大同銀座支店の原告名義の普通預金口座に預け入れた。そして、原告は、同月二二日、原告の右普通預金口座から七五〇万円を引き出し、そのうち七三〇万円を同支店に原告名義の通知預金七口として預け入れ、同年六月二日、右通知預金四口四〇〇万円を引き出し、そのうち三〇〇万円を同支店に森下高一外の架空名義の通知預金各一〇〇万円三口として預け入れた。さらに、原告は、同年一〇月一日、右森下高一名義の通知預金から一〇〇万円を引き出し、そのうち四〇万円を甲野花子の出資金として入金し、残りの六〇万円は再び同支店に森下高一名義の通知預金として預け入れたうえ、同月三日、これを引き出し、そのうち五五万円を同支店に甲野花子名義の普通預金として預け入れたものである。原告が業務上横領したとされた四〇万円と五五万円は、いずれも原告所有の金銭であって日海に帰属するものではないし、その使途も前項記載のとおり、日海のための支出であった。

(三) 商法違反について

日海が昭和三四年九月七日、全国漁業組合連合会(以下「全漁連」という。)に対し、一〇〇〇万円を支払うにあたり、先に原告が日海から弁済を受けて取得した一八〇〇万円のうちの八一〇万円を、日海が原告名義で借り受けていた手形貸付の返済にあてたことがあり、その結果、原告は、日海に八一〇万円の債権をもっていたので、原告が大同銀座支店の大崎定代名義の普通預金口座に預け入れていた日海の裏預金九〇〇万円の中から引き出した八一〇万円と、原告が代表者をしていた日本食品化学株式会社(以下「日食」という。)から処分をまかせられていた同社所有の機械を、株式会社中須製作所(以下「中須」という。)に売却した代金一九〇万円との合計一〇〇〇万円を日海に貸し付け、日海はこれを全漁連に対する前記支払に充てたが、経理処理上は、日海がアイゼンから一〇〇〇万円を借り受けてこれを全漁連に支払ったものとした。そこで、原告は、昭和三四年九月三〇日、日海から右貸金の返済として、住友銀行新橋支店の日海の当座預金口座から六〇〇万円、東京都民銀行の日海の当座預金口座から一〇〇万円をそれぞれ引き出して七〇〇万円を取得し、これを大同銀座支店に米井寅蔵(架空)名義で通知預金として預け入れ、同年一〇月二八日、これを解約してそのうち四〇〇万円を同支店に笠原茂(架空)名義の定期預金として預け入れたものである。

右のように担保に供し、日海に財産上の損害を与えたとされた四〇〇万円の定期預金は、原告の預金であった。

(四) 詐欺について

原告は、農林漁業金融公庫(以下「公庫」という。)から融資金名下に三五〇〇万円を騙取したとするが、右公庫から日海に対する三五〇〇万円の融資は、農林中金が窓口となり審査したものであって、数回にわたり申請のやり直しがなされ、農林中金の係員の指導・助言に基づいて漁業協同組合又はその連合会が九割以上の株式を所有する一般営利会社(以下「九割会社」という。)の融資条件を整えるため、現実に株式譲渡を行ったのであるから、欺罔行為も欺罔の意志もなかった。また、融資金の使途についても、日海は実際に寒天製造機械類を中須に発注し、中須においては日食の機械を購入してこれを設置したものであるから、何ら虚構はなかった。

(五) 国家賠償法の本質が個人に生じた損害の填補分担にあり、第一次的に被害者の救済を考えるべきである。国家賠償法における違法性の判断は、原因行為の違法(起訴の不合理性)のみならず、結果的違法(無罪判決)を包含し、無罪判決が確定すれば起訴は違法である。また、公訴提起は、国家刑罰権の行使に関する重大な処分であるから、判決の結果がどうであるかにつき極めて重大な考慮を払わなければならず、たとえ検察官が起訴当時において判断基準を遵守し得たとしても、無罪判決があれば起訴が違法であるとの法的評価を直ちに免れるものではない。

仮りに、無罪判決があっても公訴提起が直ちに違法有責であるとはいえないとしても、右のように、本件起訴の対象となった金銭は、原告の所有に属し、日海に帰属しないことは証拠上明白である。このことは、本件起訴がアイゼンが日海を乗取ろうとして失敗したため、原告を陥れるために起した不当な告訴に端を発するものであるのにこれを看過し、証明の対象となる事実が六、七年も前の時効寸前の過去の事実でこれを取調べるものであるから、原告に帳簿類を見せ、原告の真摯な弁解に耳を傾けるべきであるのに、アイゼンの関係者の供述をたやすく信用し、原告に帳簿類を見せず、原告の弁明を封じて自白を強要したことに基因する。しかも、原告は日海の創業者の大株主で、日海に対し多額の金銭を融資していたのであるから、原告が日海の金銭を横領することはあり得ないことである。横領したとする金銭の使用目的も、日海の役員であった佐野寅雄に支払を約束した退職金の一部を同人の意向に従って使用したことは、証拠上明らかである。また、詐欺事件も、元来日海の融資申込みは農林中金と公庫の指導の下に行われたもので関係者はこれを十分承知し、その条件を満たすため九割会社の方便を採ったのであるから、そこには欺罔とか錯誤がないことは明らかであるし、騙取したとする金銭はすでに全額償還済みで実害が発生していないものである。太田検事が原告の弁解を聞き、適正な取調べをして正当な証拠の評価をすれば、原告を逮捕・勾留し、公訴を提起することは起り得ないことである。しかるに、太田検事は、事実認定を誤まり、本件起訴により有罪判決を得る見込がないことを知りながら、敢えて公訴を提起したものであり、仮りに故意がないとしても証拠の適正な評価と経験則の適用を誤り、原告には犯罪の嫌疑があると軽信した過失により本件起訴を行ったものである。

4  原告は、本件起訴により、以下の損害を蒙った。

(一) 弁護士費用 五〇〇万円

原告は、本件起訴により、弁護人として弁護士高橋英吉、同戸田謙、同三森淳、同秋山邦夫及び同北野昭式を選任し、昭和三九年四月ころ、着手金として合計三〇〇万円を支払い、昭和四八年一〇月、戸田謙及び北野昭式に対し、成功報酬として合計二〇〇万円を支払った。

(二) 日海の倒産による損害 四〇二七万二〇〇〇円

日海は、原告の特許発明を実施して工業寒天を製造することを目的として設立され、原告個人の技術と社会的信用を基盤とする会社であったところ、右違法な捜査及び本件起訴により、原告の社会的信用は失墜し、その結果倒産するに至った。原告は、日海の株式を六二万九二五〇株(うち四万一〇〇〇株は妻名義)所有していたところ、日海の株式の昭和三九年一月中旬の株価は一株六四円であったので、日海の倒産により四〇二七万二〇〇〇円の損害を蒙った。

(三) 逸失利益 四五六〇万円

原告は、本件起訴に先立って、昭和三九年一月中旬に違法な捜索・差押を受けたことにより、日海の代表取締役の辞任を余儀なくされ、同年四月に辞任した。原告は、辞任当時報酬として一か月四〇万円の支給を受けていたところ、右違法な捜査及び本件起訴により、昭和三九年四月から無罪判決言渡時である昭和四八年九月までの一一四か月間少なくとも四五六〇万円の報酬を得ることができなかった。

(四) 慰藉料 二〇〇〇万円

原告は、昭和三九年一月中旬に捜索・差押を受け、同年四月二二日逮捕されて引き続き勾留され、同年六月三日保釈されたが、その後も一〇年近く刑事被告人としての地位に置かれ、その間、その事業に全精力を費してきた日海の代表取締役の地位を追われたばかりでなく、日海も倒産により失い、また、原告の逮捕・起訴の事実が新聞等により報道されたことなどから、名誉、信用は著しく傷つけられた。原告の受けた肉体的、精神的な苦痛は計り知れず、金銭に評価することは不可能であるが、敢えてこれらの苦痛を金銭に見積るなら、二〇〇〇万円を下るものではない。

5  よって、原告は、被告に対し、国家賠償法一条に基づき、右損害合計一億一〇八七万二〇〇〇円から刑事補償により支払を受けた九万四六〇〇円を控除した残金一億一〇七七万七四〇〇円及びこれに対する第二審の無罪判決確定の後である昭和四八年一一月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の事実は認める。

2  同3の事実は否認する。

公訴提起された事件が判決で無罪となり確定したからといって、直ちに検察官が同事件で行った起訴等の公権力の行使に国家賠償法にいう故意又は過失があったとはいえない。同法にいう故意過失があるとされるには、合理的根拠がないのに法の許容する限界を超えて公権力の行使がなされたことが必要であり、検察官の行為が経験則等に照らし到底その合理性を肯定することができないという程度に達していない限り、その行為は国家賠償法による賠償の対象にならない。検察官は、証拠資料等により犯罪の嫌疑が濃厚であり、有罪判決が得られる可能性が合理的に認められるときは起訴するのが当然で、たとえ後日当該事件について無罪の判決があり確定しても、それにより直ちに検察官の公訴提起が違法有責となるものではない。また、刑事訴訟の当事者主義や動的発展的性格を考えると、検察官と裁判官の判断に違いが生じたとしても、それはそれぞれの判断者の識見と信念に基づくものであるから、一方の判断に違法又は過失があるとはいえない。それ故、検察官の起訴が起訴・不起訴を決すべき時における証拠等により有罪判決が得られる可能性が合理的に認められる状況下になされたものであれば、それは当然に適法であり、かつ過失がないとされる。

しかも、太田検事が起訴当時収集した証拠によれば、本件各公訴事実の存在を優に肯認することができ、有罪の判決を得られる可能性があったことは明らかであるから、本件起訴について違法のそしりを受けるいわれはない。

(一) 業務上横領及び商法違反の点について

原告は、捜査段階において各金員が日海の所有であることを認める詳細な供述をしていたのであるが、公判になって捜査段階の供述を翻して、金銭はすべて原告個人の金員である旨争ったものである。仮に捜査段階において原告が右各金員は原告個人に帰属すると主張したとしても、検察官は収集した各証拠を総合して右金員が日海の所有であると認定したことに不合理はない。

(1) 五〇〇万円の帰属について

原告主張の技術指導料は、技術指導契約の契約書には原告の記名押印がされてはいるものの、その冒頭には、日海とアイゼンを代理者とする東海実業との間に左の通り契約する旨うたわれており、原告において右契約に基づく技術指導料を取得する権利はないと判断されたし、アイゼンから交付された約束手形三通については、アイゼンの支配人である木村有朋の供述や、アイゼンと日海との間の「寒天原料オゴ草に関する契約書」などから、オゴ草買付けの前払金として日海に対して交付されたものであるが、日海がこれを買い付けることができなかったためアイゼンに返還されたものであり、右技術指導料として支払われたものではない。また、日海の正規の口座として帳簿上にもある大同銀座支店の日海常務取締役井川正二郎名義の普通預金口座から二七〇〇万円が引き出され、このうち一八九〇万円が、中須に対する建設勘定として支払われた旨の架空の経理処理の下に支払われ、原告の申出によって開設された大崎定代名義の普通預金口座に預け入れられた。これらのことから、五〇〇万円は原告の保管する日海の裏預金であり、原告と甲野花子との特別な関係を考慮すると、同女のために支払ったのは、原告個人の費消とみざるを得ないと判断されたのであり、右判断に何ら不合理はなかった。

(2) 四〇万円及び五五万円の帰属について

木村有朋は、原告主張のような申入れをしていないことを供述しており、また、右木村とアイゼンの経理部長西村謙五の供述によれば、アイゼンにおいては、昭和三四年一月八日、日海に対して九〇〇万円を融通するにあたり正式の契約書を作成し、帳簿上も当初から日海に対する立替金として処理し、同年一一月に至り未返済の八〇〇万円を輸出支払勘定(前払金)として振替処理するなど、正規の処理方法がとられていること、日海は右九〇〇万円の見返りとして、当初から金額一〇〇万円の約束手形九通をアイゼンに差し入れていることが認められ、右のとおり一月八日に融資をしたアイゼンが、わずか二〇日後の同月二八日に、原告主張のような理由からこれを原告個人に対する貸付金に変更するよう申し入れるのは不自然であり、しかも、日海は農林中金の日海の普通預金口座から一五〇〇万円を払い出し、うち八〇〇万円について原告に対する借入金返済という経理処理をして、大同銀座支店の原告名義の普通預金口座に振り込んだので、この金銭は日海の裏勘定とみるべきであるうえ、四〇万円と五五万円は、右の原告名義の普通預金の口座から払い出されている。これらのことから、右金員は、日海の裏預金で原告個人に帰属する金銭ではないと判断したもので、たとえ原告が弁解をしたとしても、これを措信し得ないものと判断したことに何ら不合理はなかった。

(3) 四〇〇万円の定期預金の帰属について

原告主張の八一〇万円の貸付金債権は、技術指導料に起因するものであるところ、原告が技術指導料を取得する権利を有しなかったことは(1)のとおりであり、日食の機械売却代金一九〇万円については、日食と日海の間に「債務承認及び譲渡担保契約書」が取交されていたことから、右機械の所有権は日海にあり、その売却代金も日海に帰属すると判断されたものであって、右判断に何ら不合理はなかった。

(二) 詐欺の点について

日海が九割会社の融資条件を備えていなかったことは、原告に無罪を言い渡した一審判決においても認められており、太田検事の右判断に誤りはなかったし、欺罔の有無に関しては、検察官は、公庫の受託金融機関である農林中金の係員が九割会社の融資条件の欠如を知っていたことを前提として、農林中金を「故意ある道具」的に考えて「農林中金を介して公庫を欺罔した」と構成したのに対し、一審判決は農林中金と公庫とを一体と考え、農林中金の係員の知情をもって欺罔の点を否定したものであるが、これは解釈の相違であり、検察官の解釈を一概に不合理なものということはできない。また、融資金の使途に関する欺罔についても、寒天製造機械類を日海が日食から譲渡担保により取得していたことは(3)のとおり明らかであるところ、捜査段階において公庫の職員は、「公庫は寒天製造機械が申請どおり新設されるものと考えた。すでに日海が所有する機械を新工場に搬入して取り付ける場合であれば融資対象から除外されるのが通例であり、融資対象とされるとしても、その取得価格に限られる。」旨を供述しており、これに疑いをさしはさむ事情はないから、融資金の使途に関しても、欺罔行為があったと解した検察官の判断に不合理はなかった。

4  請求原因4の事実は否認する。

三  抗弁

原告の本訴請求中、詐欺罪の起訴の違法を理由とする部分については、詐欺についての無罪判決は昭和四三年九月一五日に確定したものであるところ、原告の本訴提起は右の日から三年を経過した後の昭和五一年九月二一日にされたものであり、本件損害賠償請求権の消滅時効が完成しているので、被告は右時効を援用する。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実中、詐欺の点についての無罪判決が昭和四三年九月一五日に確定したことは認め、その余は争う。

本件詐欺の公訴事実は、業務上横領等の公訴事実を支えるために起訴されたものであり、両者は密接不可分な関連を有し、全部の無罪が確定したときに初めて請求権の行使が可能となるのであるから、右時効の起算日は、二審判決の確定した昭和四八年一〇月六日というべきである。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1及び2の各事実は、当事者間に争いがない。

二  ところで、無罪の刑事判決が確定したというだけで直ちに当該刑事事件についてなされた公訴の提起が違法となるものではなく、起訴時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば、当該起訴を違法ということはできないと解するのが相当である(最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決民集三二巻七号一三六七頁参照)。

そこで、この観点から本件起訴の違法性について判断する。

1  業務上横領及び商法違反について

(一)  《証拠省略》によれば(本件起訴当時の証拠資料の内容は次のとおりであったことが認められる。

(1) 金員の移動について

大同銀座支店の日海常務取締役井川正二郎名義の普通預金口座から昭和三四年七月二四日に引き出された二七〇〇万円のうち五〇〇万円が、同年八月二一日に中坪義夫に対し、甲野花子が同人から買い受けた旅館「木曽家」の代金として支払われるまで、農林中金の日海普通預金口座から同年五月一一日引き出された一五〇〇万円のうち四〇万円が同年一〇月一日大同信用金庫に対する甲野花子名義の出資金として、うち五五万円が同月三日甲野花子名義の普通預金としてそれぞれ大同銀座支店に払い込まれるまで、住友銀行新橋支店の日海当座預金口座から同年九月三〇日引き出された六〇〇万円及び都民銀行の日海当座預金口座から同日引き出された一〇〇万円の合計七〇〇万円のうち四〇〇万円が、同年一〇月二八日大同銀座支店に笠原茂名義の定期預金として払い込まれるまでの各金銭の動きについては、大同銀座支店の関係者、日海の経理担当者や原告などの取調べにより明らかであった。

(2) 原告の弁解について

取調べの当初、原告は、日海に対しては昭和三四年一〇月当時次のような債権を有していた旨主張していた。(イ)大韓民国の東海実業との間の技術指導契約に基づき原告が取得した技術指導料を原告が日海に貸し付けた一八〇〇万円の貸金債権、(ロ)日海が取引先に対して負担していた債務の弁済のために原告が昭和三三年に自己の所有する土地と建物を提供したことによる約三〇〇万円の債権、(ハ)昭和三〇年に日海が府中工場を建設した際、原告が代表者をしていた日食が所有し、原告がその処分をまかせられていた機械を使用して浮かせた金員を原告が日海に貸し付けた貸金債権。

したがって、嫌疑の対象となっている金員は、原告が日海に対する債権の弁済として処理したもので、原告に帰属する金で日海のものではないと弁解した。

(3) 技術指導料について

技術指導契約については、昭和三三年一月一五日付けで契約書が取交わされており、その冒頭には「日本海藻工業株式会社と株式会社アイゼンベルグ商会を代理者とする東海実業株式会社との間に左の通り契約する」と記載され、一項において「日本海藻工業は東海実業に対し年産約百萬封度の寒天製造を目的とする工場の完全なる青写真、技術指導並に設計図を提供する」、四項において「日本海藻工業の社長津田氏は本機械の製造に関し製造家を指導する為め独乙に渡航する事を承諾し尚完全なる機械を入手する為め其の完成の際検査する事とする」とされているほか、六、七項において、原告が機械の使用方法等の指導を行い、特許を東海実業に供与するものとされ、七項において「右代償として東海実業は壱千八百萬円の一括金額を支払ふ右の内参百六十萬円は一月十八日迄に現金を以て支払ひ残額壱千百四拾萬円は機械が据付完了完全稼動開始後一ケ月以内に毎月壱百二十萬円宛十二回に分割支払ふ」ことなどが定められ、その末尾には「日本海藻工業株式会社社長津田正衛」「東海実業株式会社社長姜淑鉱」「株式会社アイゼンベルグ商会社長ショール・アイゼンベルグ」「津田正衛」の順に記名押印されていた。

原告は、警察官による取調べの際、契約書の写を示され、技術指導契約は日海とアイゼン・東海実業の間の契約であり、技術指導料は日海に帰属すべきものではないかと指摘されたのに対し、「自分は個人として契約したと思っていたが、契約書によれば日海が契約者である。どんな理由から会社として契約したのかははっきりしない。」旨述べるにとどまった。また、原告は、取調べ当初、右技術指導料のうち三六〇万円は契約のころ支払を受けたが、残額一四四〇万円については、昭和三三年秋ころ、アイゼンと交渉して金額四八〇万円の約束手形三通により同額の融資を受け、これを日海に貸し付けたが、アイゼンから返還を求められたので、約束手形一通とすでに割引いた二通と同額の金銭をアイゼンに支払って返還した旨供述したが、日海とアイゼンの間には昭和三三年一〇月二五日付けで寒天用原料オゴ草買付契約が成立しており、同契約上、アイゼンは、日海に対し、粉寒天原料用オゴ草五万貫の買付けのため、金額一四四〇万円の約束手形を交付することとされており、同契約書を示された原告は、前記三通の約束手形は、オゴ草五万貫を日海が買い付けるため日海がアイゼンから借り入れたものであり、東海実業からの技術指導料の残額一四四〇万円がその裏保証となっていたものである旨供述を訂正した。

(4) 土地・建物の帰属について

原告が日海の債務の弁済のために提供したと主張していた土地・建物については、日海の総勘定元帳によれば、昭和三〇年ころから昭和三二年ころまでの間に日海が土地の購入費及び建物の建築費を支出した旨の記載があり、登記簿上も日海の所有として登記されており、警察官による取調べにおいて、これらを示されたところ、原告は、結局、右土地・建物が日海の所有であったことを認めた。

(5) 日食の機械について

原告は、日海の府中工場建設に使用した日食の機械に関して日海に対し債権を有していた旨主張していた。日食は、大阪府茨木市所在の工業寒天製造を目的とする会社であったが経営不振となり、昭和三〇年ころ、水産庁の紹介で当時日海の専務取締役であった原告が経営立直しのためその代表取締役に就任して援助したが、再建に失敗した。それで、日食の役員の芳木薫が工場の寒天製造機械を処分するおそれが出てきたことから、原告は、日海の日食に対する債権の確保と右機械の活用のため、これを日海の債権を担保するため譲渡する旨の公正証書を作成し、静岡県清水市内の自宅に運んで保管していた。その後昭和三二年に日海が府中工場を建設する際にこれを利用したものである旨供述した。そして、日海と日食の間には、日食は昭和三〇年二月から九月までの間に日海から総額八三九万七四八四円の融資を受けたことを承認し、その譲渡担保として日食所有の機械を譲渡する旨の「債務承認及び譲渡担保契約書」が作成され、公証人の確定日附を得ていた。なお、原告は、検察官の取調べに対し、右譲渡担保により機械の所有権が完全に日海に帰属したとまではいえないので、いずれは日食との間で清算しなければならないと考えており、府中工場建設に関して浮かせた金員のうち機械代金相当分については、一種の未清算金的な性質のものもあり、それについて日食の代表者である自分にも何らかの権利があるものと考えていたが、その清算は今日まで何ら行われていない旨供述した。

(6) 九〇〇万円の振替処理について

日海の帳簿によれば、昭和三四年一月二八日、アイゼンからの仮受金九〇〇万円を原告からの借入金であるかのように振り替える経理処理がなされており、原告も木村有朋からの要望によりその旨の処理をした旨主張していたが、昭和三四年当時の日海の経理課長(取調べ当時は経理部長)であった加藤敏長は、取調べに対し、右振替処理は、日海の社長である原告の命令により、帳簿上原告からの借入金については一五〇万円くらい返済超過になっていたので、これを解消するために同月八日日海がアイゼンから借り受けた九〇〇万円をアイゼンの承認なしに帳簿上原告からの借入金として振替処理したものであり、同年五月一一日には、右架空の九〇〇万円を差し引いた原告からの借入金残高は三〇〇万円余であったにもかかわらず、原告の命令により、原告からの借入金の返済として八〇〇万円を支出した旨供述していた。

また、アイゼンの支配人木村有朋は、取調べに対し、前記のように右九〇〇万円が日海の帳簿上原告からの借入金として振替処理されていることについて、そのようなことは相談を受けたこともなく、税金対策やその他の理由で原告から日海に貸し付けたことにするよう原告や関係者に頼んだことはなく、右貸付金については、アイゼンでは、契約書を取交わし、立替金として伝票、帳簿に記入し、同年一一月末に前払金に振り替えており、税金対策上そのような依頼をするわけがない旨供述した。

なお、加藤敏長は、昭和三三年一二月三〇日から昭和三六年八月三一日まで日海はアイゼンから多額の資金援助を受けていたため、その管理下にあって、代表取締役印はアイゼンに保管され、銀行から金銭を引き出すにもアイゼンへ行き、その承認を受けて印をもらう必要があったため、その間、アイゼンの承認なしに使用することのできる金員を作るための裏金工作が行われていた旨供述していた。

(7) 佐野への退職金について

原告は、捜査官に対し、甲野花子のために支出した金員は、もと日海の取締役会長であった佐野寅雄に対する退職金として、同人の意向に従い、その妾であった甲野花子のために支出したものであり、そのような経理処理がなされている旨主張した。

しかし、甲野花子は、取調べに対し、旅館「木曽家」を買い受けるについては、原告からこれを紹介されて勧められ、代金一五〇〇万円のうち五〇〇万円は原告が支払い、残金一〇〇〇万円は原告の紹介で大同信用金庫から借り入れ、原告はその保証人となったこと、佐野寅雄は、もと甲野の養母であった乙野春子と特別な関係にあり、一時期甲野との間にも肉体関係があったもののその後手を切ったこと、甲野は、その後原告の世話を受けるようになり、木曽家を買い取ったころ原告の申し出により原告との関係を断った旨供述し、また、乙野春子や甲野の知人の丙野夏子も原告と甲野とは特別な関係にあることを認める旨供述していた。他方、加藤敏長は、昭和三八年七月の日海の決算の際、原告から、昭和三四年の五〇〇万円の使途不明金は佐野に対する退職金八〇〇万円の一部であると言われたことがあるが、佐野は、日海が昭和三二年に公庫から三五〇〇万円を借り入れるに際し、役員の中で独り保証を拒否したため原告と感情的に対立して日海をやめた人であるから、五〇〇万円は佐野に対する退職金の一部であるとの原告の言い分は疑問に思う旨供述していた。さらに、佐野寅雄の未亡人の佐野やすは、亡夫の生前から一家は経済的に楽ではなく、日海から大金をもらったことなど全く知らない旨供述した。なお、日海には、佐野が退職金を受領したことに関して領収証等これを裏付ける書類は何もなかった。

(8) そして、原告も、捜査段階では最終的に各公訴事実を認めていた。

(二)  以上の証拠資料によれば、五〇〇万円の業務上横領及び商法違反の点に関して原告の主張する東海実業との間の技術指導契約に基づく技術指導料に起因する原告の日海に対する貸金債権については、技術指導契約の契約書の文言上、技術指導料は日海に帰属すべきものであると判断するのが合理的であり(技術指導契約書上、原告の義務を定めた部分があり、末尾には原告の署名押印があるとしても、同契約八項に規定する技術指導料が原告に帰属すべきものとすると、冒頭に日海と東海実業、アイゼン間の契約であることがうたわれ、一項に日海の義務が規定されているのに、日海は何ら技術指導契約上の権利をもたないこととなり、極めて不合理である。)、しかも、昭和三三年秋ころアイゼンから交付された金額四八〇万円の約束手形三通は、証拠によると、アイゼンから日海に対し、オゴ草の買付資金として交付されたものであると認めるのが妥当で、技術指導料は三六〇万円しか支払われていなかったと判断されるべき証拠関係であったのであるから、原告が弁明する前記貸金債権の存在を認めなかった検察官の認定は経験則に反して不合理であるということはできない。また、原告が四〇万円及び五五万円の業務上横領の点に関して主張する昭和三四年一月二八日に日海がアイゼンからの仮受金九〇〇万円を原告からの借入金に振り替えたことによる債権については、加藤敏長及び木村有朋の供述から、右振替は日海の裏資金作りのための架空の経理処理であり、原告は右債権を取得していないと太田検事が判断することは不合理であるとはいえない。また、原告が商法違反の点に関して主張する日食所有の機械の売却代金を日海に貸し付けたことによる債権については、原告は、取調べ当初右債権の存在を主張し、同時に右機械を日海が日食に対する債権の譲渡担保として取得し、公正証書を作成した旨供述していたのであるから、原告の供述は機械の帰属について相互に矛盾し、不合理な主張であったし、原告の供述した機械の帰属についての経過も日海の債権確保のための当然の措置であり、「債務承認及び譲渡担保契約書」の成立に関して疑いをさしはさむべき事情は窺われなかったのであるから、右機械は日海が所有したものであり、その売却代金も日海に帰属し、原告が右代金に起因して日海に対して債権を取得したことはないと判断することは、不合理であるということはできない。さらに、原告が各業務上横領の点に関して主張する甲野花子に対する各支出は佐野寅雄の退職金として支出されたものであるとの点についても、捜査当時の関係者は原告と甲野花子とは特別な関係にあることを認める供述をしており、しかも、佐野が多額な金銭を甲野花子のために費消することは極めて不自然な状況であるうえ、佐野が退職金を受領したことを裏付ける客観的な証拠は何もなかったのであるから、捜査官が右事実を認めなかったことは不合理とはいえない。

以上のとおり、結局、太田検事が本件起訴当時の証拠資料を総合勘案した結果、原告に対する本件業務上横領及び商法違反の各公訴事実について有罪と認められる嫌疑があると判断したことは合理的な理由があったというべく、したがって、右の各公訴事実に係る起訴を違法であると認めることはできない。

なお、原告は、太田検事は原告の取調べにあたり、原告の弁明を封じ、帳簿を示さずに自白を強要した旨主張し、原告本人はこれに沿う供述をするが、前記認定のとおり、原告の捜査当初の弁解は不合理又は他の証拠に反するものであり、原告の自白も他の客観的証拠が契機となっていること、警察において帳簿を示した取調べがなされていること等の事実に照らして俄かに措信し難く、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

そうすると、業務上横領及び商法違反の公訴事実に係る起訴に違法があった旨の原告の主張は理由がない。

2  詐欺について

(一)  《証拠省略》によれば、本件起訴当時の証拠資料の内容は次のとおりであったことが認められる。

(1) 日海が公庫から融資を受けるに至るまでの経過が以下のとおりであることは、原告をはじめとする日海の関係者や公庫、農林中金の関係者の取調べにより、明らかであった。

日海は、昭和三〇年ころから、日食の機械を利用して工業寒天製造工場を建設する計画をたて、原告は、その資金調達のため、低利で融資を受けられる公庫からの借り入れを望んでいたが、公庫の融資対象は農林漁業者やこれらの者の組織する法人等に限られているので、公庫や水産庁、全漁連に交際の広い佐野寅雄と中村道治を役員に迎え、公庫から融資を受ける方策を検討していた。

当初、原告らは、昭和三一年三月ころ、東日本天草漁業協同組合を設立し、同組合において公庫からの借り入れをしようと考え、同年四月ころ、同組合から借入申込を公庫の受託金融機関(公庫の委託により、公庫に対する融資申込を受理し、その審査をする金融機関。公庫においては、その結果を記載した書類等を審査し、融資の可否を決定する。)である農林中金に対して行ったが、農林中金は、同組合は組合員に漁業等を営んでいない者がいるなど正当な融資対象とは認め難いとして、同年九月七日、右組合からの融資申込を拒絶した。次いで、日海は、佐野、中村らの発案により、公庫が業務方法書において規定する「水産業協同組合又はその連合会が株式の九割以上を保有する会社」、すなわち九割会社の資格において融資を受けようと考え、昭和三一年一〇月、日海の資本金六〇〇万円の中には、東日本天草漁業協同組合が三八〇万円、愛媛県漁連が一五〇万円、道下漁協が五万円、由比漁協が五万円をそれぞれ出資しているとして、四〇五二万円の融資申込を農林中金に対して行ったが、農林中金の審査の結果、東日本天草漁協に前記の問題があり、九割会社としての資本構成に疑問があることなどから、同年一二月七日、融資を拒絶された。さらに、日海は、昭和三二年三月八日、その資本金六〇〇万円中、全漁連は四三〇万円、愛媛県漁連は一〇〇万円、由比漁協は五万円、道下漁協は五万円をそれぞれ出資しているとして、農林中金に対し三六〇〇万円の融資申込をしたところ、農林中金において、日海が九割会社の資格を備えたものと判断し、内部手続を進めたうえ、同年四月一八日付けで公庫に対し意見書を申達した。ところが、その後、全漁連が日海の株式を所有しないこととなったことが判明したので、農林中金は、この点を原告に質したところ、同年五月一五日、日海から、三崎漁協は二〇〇万円、佐田岬正野漁協は二〇〇万円、長崎県漁連は二〇万円、高知県漁連(後に高岡漁協に変更)は三〇万円、愛媛県漁連は一〇〇万円、道下漁協は五万円、由比漁協は五万円の各出資となった旨の申告があったので、農林中金においてこれを調査した結果、三崎漁協及び佐田岬正野漁協の持株について、右各漁協は現実に株式買受代金を支払っておらず、右代金は原告から借り受けたものとして、単に原告から株券預り証を受領しているにすぎないことが判明し、右各漁協の株式取得は日海が九割会社の資格を備えるためになされた株の形式的な譲渡である疑いが生じた。そのため、農林中金は、中村道治や原告を呼んでこれを問い質したところ、原告らは現在は右各漁協から株式買受代金を受領していないが、近い将来には実質的にも株式を持ってもらう予定であり、今回のところは融資を急ぐので黙認して欲しい旨要請し、農林中金は、内部で検討した結果、すでに公庫に対し貸出の意見申達を行っていることでもあるので、この点は公庫に伏せておくこととし、同年七月一日付けの書面で右株式移譲を確認した旨公庫に報告した。公庫においては、農林中金からの意見、報告等を信頼して、日海が九割会社の資格を備えているものと判断し、同年八月六日付けで、日海に三五〇〇万円を融資する旨の貸付決定を農林中金に通知し、同年九月五日右貸付が実行された。

(2) 原告、中村道治及び各漁連、漁協の関係者の取調べにより、原告や佐野寅雄、中村道治らは、日海が九割会社として公庫から融資資格を備えるべく、各漁連、漁協に対し、直接又は全漁連を通じて日海の株式取得を働きかけたこと、そして、日海が農林中金に対し、最終的に日海の株式を所有すると申告された各漁連、漁協における日海の株式取得の実体は、以下のとおりであったことが明らかであった。

(ア) 愛媛県漁連、佐田岬正野漁協及び三崎漁協においては、日海の株式を原告から買い受けたが、その代金を自己の資金で支払わず、右代金と同額の金銭を原告から借り受けてこれを代金に充当し、株式の配当があった場合にはこれを利息相当のものとして原告が取得し、株券は右貸金の担保として原告が保管し、原告は何時でも右株式を買い戻すことができ、その場合の代金は右貸金と相殺する旨を約定しており、現実には右貸金の借用証と株券の預り証を交換したにすぎなかった。また、右各漁連、漁協においては、定款上株式取得は総会の決議事項に該当するにもかかわらず、いずれも総会の承認決議は行われておらず、経理上も残高試算表に計上されていなかった。しかし、右各漁連、漁協は、日海からの求めに応じ、農林中金に提出する資料として、いずれも右各株式取得の承認決議を記載した虚偽の総会議事録写と株式を外部出資欄に計上した虚偽の残高試算表写を作成して送付した。

(イ) 高岡漁協においては、原告から株券の交付を受けたこともその代金を支払ったこともないばかりか、株式取得は定款上総会の決議事項に該当するのに総会の承認決議もなく、経理上も何ら株式取得に伴う処理がなされていなかったが、日海からの求めに応じ、農林中金に提出する資料として、日海の株式取得の承認決議を記載した虚偽の総会議事録写と日海の株式を外部出資欄に計上した虚偽の残高試算表写を作成して送付した。

(ウ) 長崎県漁連においては、現実には代金を支払っていなかったので株券の交付を受けず、ただ原告から株券預り証を受領していたにすぎなかったが、右株式取得は定款上総会の決議事項に該当するので、四〇〇株二〇万円の出資について総会の承認決議が行われ、経理上も、同漁連傘下の漁協が将来日海に天草を出荷した場合に受けるべき日海からの手数料の前渡金二〇万円と、株式代金二〇万円の両建処理を行い、残高試算表にも外部出資として日海の株式を計上しており、同漁連としては、将来日海との取引が行われた場合にはこれを精算し、実質的に代金を支払うことを考慮していたが、結局その後取引が行われたことはなく、代金も支払われなかった。

(エ) 由比漁協においては、日海の株式を取得したことは全くなく、これに伴う処理も一切行われていなかった。

(オ) 道下漁協においては、株券は見当らなかったが、昭和三一年七月ころ原告から日海の株式一〇〇株五万円の贈与を受けたとされており、以後の残高試算表の外部出資欄にもこれが計上されていた。

(3) 公庫の理事で、昭和三二年当時水産部長として日海に対する融資を担当した長谷川巖は、取調べに対し、公庫の貸付対象者としての資格は、農林漁業金融公庫法二〇条に基づく公庫業務方法書により、漁業協同組合又はその連合会等がその株式の九割以上を所有する会社を含めているが、これは本来公庫の融資対象者は農林漁業者であり、これを拡げて漁業等を営む者が組織する法人も含めることができ、九割会社はこれにあたるものとみなされるものであるが、法の趣旨からは、九割会社は実質上協同組合又はその連合会の手により運営されているという実体を備えたものでなければならず、単に名義だけの出資では足りないと考える、日海の場合も愛媛県漁連等の株式所有が仮装的なものと判明していれば、貸付はしなかったであろうと供述した。

(二)  以上の事実によれば、愛媛県漁連、佐田岬正野漁協、三崎漁協、高岡漁協、及び由比漁協に対する株式譲渡の実体に照らして、日海は、公庫から融資を受けた当時、九割会社の資格を備えていなかったものであり(なお、《証拠省略》によれば、詐欺の点について無罪とした刑事第一審判決においても、日海は九割会社の資格を備えていなかったと判断されていることが認められる。)、まして、公庫の担当者の供述から、公庫において日海の株式所有の実体につき錯誤に陥っていたことは明らかであり、また、欺罔の意思についても、前記のとおり、原告は農林中金に対し、株式譲渡の実体を公庫には伏せておくよう依頼していたのであるから、原告は、右事実が公庫の知るところとなれば融資を拒絶されるであろうことを知っていたものと考えられるから、結局、原告が公庫職員を欺罔して三五〇〇万円の融資を受けた旨の公訴事実については、犯罪が成立し有罪の判決を得るに足る嫌疑があったものといわざるを得ない。

なお、原告は、株式譲渡は農林中金の助言に基づいて行われた旨主張するが、農林中金が前記認定のような形態で株式の譲渡をすることを指導したと認めるに足りる証拠はない。

もっとも、《証拠省略》によれば、刑事第一審判決は、欺罔行為について農林中金職員に対する施用の有無を判断すべきものとして、これを否定し、無罪としていることが認められるけれども、前記認定のとおり、農林中金は、公庫の受託金融機関としてその委託により融資申込の受理、審査等を行うものではあるが、融資の主体はあくまでも公庫であって、その可否について最終的な決定は公庫において行われるというのであり、この事実に徴すれば、太田検事が刑事第一審判決の判断とは異なり、農林中金職員をむしろ故意ある道具としてとらえ、被欺罔者は公庫総裁であると解したことを一概に不合理であると断ずることはできない。したがって、刑事第一審判決が右のような判断をしたことは、直ちに本件起訴当時に詐欺の点について嫌疑があったと認めることの妨げになるものではない。

そして、他に原告が日海の九割会社としての資格について欺罔したとの点に関し、太田検事の判断の誤りを認めるに足りる証拠はない。

そうすると、寒天製造機械新設の点の欺罔の有無について判断するまでもなく、詐欺の公訴事実に係る起訴に違法があった旨の原告の主張は理由がない。

三  以上判示したとおり、起訴当時の証拠資料を総合勘案すると、本件各公訴事実について有罪と認められる嫌疑があったと認めることができるので、太田検事がした本件起訴を違法ということはできない。太田検事が提起した別紙二記載の公訴事実は第一審裁判所において、同別紙一記載の公訴事実は第二審裁判所において、それぞれ無罪の判決があり確定したという結果だけから観るならば、太田検事が右の犯罪事実について公訴を提起したこと自体が誤りであるかのような外観を呈するが、公訴提起が違法であるか否かは、起訴当時における諸々の証拠資料を総合勘案して経験則による合理的な判断によって有罪判決を得られるに足る嫌疑の有無によるものであって、判決時のそれによるのではない。このことは、審理の経過に伴い起訴当時の証拠資料の外に各種の証拠資料が追加されたりする刑事訴訟の動的発展構造によるものである。本件において無罪の判決が得られたのは、原告が刑事公判廷で捜査段階と異なる供述をしたことの外、原告の刑事弁護人が原告の弁明に副って終始熱心な弁護活動を展開したことに稗益するところが多大であると思われる。

太田検事の本件起訴について、刑事第一審裁判所が判決中で「本件公訴の提起に当り、検察官に所論のごとき不純な意図があったかについては、これをいささかなりとも疑わせるような証拠資料は一切ない。しかもその他本件公訴提起の手続につき、これが不適法ないし違法、さらには無効と認むべき事由は何も発見できない。」「通常の起訴基準を著るしく逸脱しているとか、起訴便宜主義の運用が明白に妥当を欠くとかにわかに断じ得ないことは、既に明らかである。」旨判断しているところである。

本件公訴の提起により、原告は日海の代表取締役を辞任せざるを得なくなったばかりでなく、日海も倒産したことや、長期間刑事被告人としての地位におかれ、名誉、信用を害されたことは詢に遺憾であるが、これまで判断したとおり、太田検事の本件起訴が違法であると認められない以上、原告の本訴請求は理由がないといわざるを得ない。

そうすると、原告の本訴請求は、爾余の点について判断するまでもなく、認めるに由ない。

よって、原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡田潤 裁判官 萩尾保繁 裁判官佐村浩之は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 岡田潤)

<以下省略>

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